職場の厳しさ・・会社・組織で役に立つ話
職場には、厳しさと和やかさの両方が必要である。ただ厳しいだけでは、パワハラと言われてしまう。
常山紀談(岩波文庫)
厳しさとはどのようにして生まれるのだろうか。「常山紀談(戦国武将の言行録)」の中に京都所司代の板倉重宗(江戸時代前期の譜代大名)の役目に対する姿勢が書かれている。彼は所司代の職にあること三十年、名臣の誉が高かった。
重宗は、毎日廊下に出て愛宕山に遥拝を行い決断所に入り、そこには茶磨を一つ置き、障子を閉めて灯りをつけ、茶を挽きながら訴えを聞いた。
人々は不思議に思っていたが、後にその訳を聞く者に次のように答えたと伝わっている。「先ず決断所に入る前の遥拝は、愛宕山の神を拝するのである。その所願とは、訴えの裁きを下す際に私心を挟まぬように、もし誤って公正を失うようなことがあったならば、即刻命をお召し下さいと毎日祈誓している。また、訴えを聞いて決断に迷うのは、心がいろいろなことに影響されているからである。そこで心が動いているか、静かであるかを知るために茶を挽いている。障子越しに訴えを聞くのは、訴えた人の顔を見ないためである。人の顔形には憎らしいのと憐れがましいのとがあり、真しやかなのと邪まげなのと、実に千差万別である。真しやかな人の言葉は真実に聞こえ、邪まげな人の言葉は何でも偽りにみえる。憐がましい人は枉げられた所があるのではと、憎らしげな人は癖事ではないかと感じられる。すなわち外見が心に影響を与えて、相手が言葉を出さない内から既に決めてかかるのである。ところが実際はそうではない。人の心は外見を持っては測り難いもの、だから障子越しに訴えを聞いているのである」と話したといわれている。
また重宗は死刑の裁きを下した罪人を常に呼び出し「明日には刑を行うが、申し開きあれば申せ」といった。そして罪人が申し開いたことは、刑の執行を延期してまで何日もかけて調べ、言い分が全てなくなってから刑を執行したという。
彼の少しも誤りを犯すまいとする姿勢、心を静めるために茶を挽くこと、先入観を避けるために障子越しに対面することなど、職務に対する懸命な努力がうかがえる。三十年の長きに亘って人々から神のように敬われ、父のように愛されたことがその証左である。
自衛隊において、上司が部下に厳しさを要求するには、上司自身の自己規制や仕事ぶりを、部下がその目で見て、感心し誘発されて、自然にそうなっていくものである。
「職場の厳しさ」とは、組織の上に立つ人間自身の律し方で決まるのである。
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